私が育った環境は、下町の平屋の一軒家、それは庭とガレージに三方を囲まれた間取り(?)の作りだった。
私が産まれた時には、すでに2頭の日本スピッツが先住者として住んでいた。
そう、両親は犬好きだった。
でもめちゃくちゃ好きと言うより、番犬に飼っていたと言う方が正しいかもしれない。
だから、私は犬達と一緒に育ってきたのだった。
主に日本スピッツが多かったけれど、シェパード、秋田、アフガンと飼ったので、大型犬種の持つ独特の大らかさが好きになった。
私の記憶にある犬たちは、その半分くらいしか残っていない、というのも私が幼すぎて記憶の中に無いのだ、でもその触れ合いは自然であったことがはっきりと感覚として心に残っている。
当時、今のように動物病院も多く無く、まして飼い主もその病気に対する知識も薄かった。
ドッグフードも売っていたけれど、今の様な幼犬用とかの種別は無かったように思う。
だからそんな防げるであろう病気で亡くした子も沢山いた。今思えば...。
昔の事なので、犬は外で飼うものと言う事になっていた。
だから、一年中犬は庭を走り回っていた。それはそれで幸せだったかもしれない。
当時の私の家族構成は、祖父、両親、3歳上の姉、私、常時2頭の犬達の5人プラス2匹構成。
毎日の庭掃除(犬のふん尿の掃除)も良くやった、だけど本当に義務で無くし始めたのは、最後の犬になったアフガンハウンドの”ティナ”を飼い始めた頃かもしれない。
ティナは、母の知り合いのブリーダーさんから譲り受けた犬だった。
というのも、母犬がすでにアカラスと言う病気(皮脂腺に寄生する毛包虫ダニが原因の皮膚病)になっており、その産まれた子犬達にもこのアカラスに感染(母犬の母乳を吸った為)していまっていたので、売りに出せないと言うのが一番の理由だった。
迎えに行った時には、すでに14頭一緒に生まれた内の2頭は亡くなっていて、次ぎに亡くなるかもしれないと言われていたひ弱な子犬がティナだった。
当時、私はたしか、13歳か14歳くらいだったと思う。
初めて迎えた珍しい洋犬種であり、新鮮だった。
綺麗な犬だった、だけどアカラスと言う病気を持っていて一生治療しなければ成らない。
幸い、製薬会社に勤める親戚がいる事もあって、薬には困らなかったけれど、それはアカラスに今の薬の様にピンポイントで効くものでは無かったように思う。
そんな世話のかかる犬、おまけに長毛種なので毎日のブラッシングは欠かせない、でも私のかけがえの無い妹だった。
狭い三方に囲まれた庭を上手くターンしながら目一杯走るティナは美しかった。
私の思春期といっしょに育ったティナだった。
私の中には犬がいるのが当然の生活、幼かった私の思春期の寂しさや苦しさやそんな気持ちの揺れる時期にいつも変わりなく接してそばに居てくれたのが、犬達だった。
微妙な心の動きを察してそっとそばに寄ってくる。
嫌な事や悲しい事が有った時には必ず「どうしたの?」っと言って顔を覗きなめにやってきて暖かいその舌先で慰めてくれるのだ。
暖かいそのぬくもりを抱きしめていると、心が不思議に穏やかになれた。
ティナは大型犬種である、なのに私の小さなあぐらを組んだ上にむりやりのっかって来る。
そしてそのまま眠ってしまう。
全身全霊、身を任せて眠るティナ、そんな犬に私は慰められ癒されていた。
(そんな後は、足に必ず痺れが来て歩けなくなるのだ・・・これもいい思い出)
今から思うと、アフガンらしからぬ甘ったれな犬だった。
脱走4回もした強者でもある、捕まえる方法は・・・無い。
ハウンド犬なので当然、人間の足で追い付けない、大型犬種なので道行く人においそれと捕まえてもらえない、大人の男性でも真正面から向かってくるティナは迫力満点恐いだろう。
結果、私は大声でなりふりかまわずティナの名前を何度も叫び!全速力で走って行きなんとか静止させる。
かなり恥ずかしいけれどそんな事言ってられない。だってね、いつ小さな子供にぶつかるかも知れない、なので私はティナが脱走した時点での服装で走る・・・外出用の服を着てるはずも無く・・・きっと漫画の一コマのようだったと思う。
無事逮捕した後のティナは「すんません〜」と言う顔をして伏して斜めに私の顔を見る。
悪い事が分かっているのだ。
後足で立ち上がると軽く当時の私の肩に前足が乗る大きさだから、抱えられない・・・ので前足を持って引きずる用にして、後足で歩かせて連行した記憶が残っている。
言う事を聞く犬だったと思うけれど、ハウンドの血が走ると言う興奮を呼び覚ますのだろうと思う。
当然犬は言葉を話はしない、だけど心は有る。
その無償の愛(愛だったかどうかは分からないけれど)に包まれて私は大切な思春期をすごして大人になれた。
「もの言わぬ理解者」と私は犬達を呼んでいる。
そんな犬達にどれだけ多くの楽しい時間をもらったのだろう、どれだけ多くの癒しをもらっただろう・・・
今こうして、書いていてもその当時の楽しかった優しい感覚があざやかに蘇ってきて、なぜか涙があふれて来る。
歳とって涙もろくなってしまったのかもしれない、その時に受け取った心の触れ合いはいつまでも忘れる事はないし、今も変わらず鮮やかに心の中にある。
そんな、最後の犬になったティナと一緒に飼っていたmix犬のキンちゃんを最後まで見てやれなかった事が、今も心残りで痛む。
それは、マンションに引っ越す事になった為だった。
私が19歳の頃、もっと大人になって自立していれば引き取って飼えたかもしれない。
いろんな理由が有る、だけど行為そのものは「人間の勝手な都合」だ。
だからといって両親を恨んではいない、逆にそんな環境で私を育ててくれた事に感謝している。
当時、犬の飼えるマンションなど無かったので、やむなく親戚の家にティナを引き取ってもらう事になった。
引っ越しの話が持ち上がった頃から、ティナの様子がおかしくなった。
敏感に空気を察していたのだろう、その気持ちを思うと胸が張り裂ける。
手放した事は、一つの運命の様なものだったと思っている、だけど私の心の中には最後まで見てやれなかった事が大きく傷のように残ってしまった。
犬達から、多くの癒しをもらい、動物の躍動する様を学び、その美しさに魅入られてしまった。
機能美というのだろうか、無駄の無い美しい身体の線、澄んだ瞳。
そして、なによりも限りなく純粋で澄んだ心がある。
そんなやさしい心が描ければ、幸せである。